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Many thanks to ・・・.フェニックス第1期引退メッセージ。

2008/10/21

椿(FWバイスキャプテン・PR)

 引退して一週間がたったけどなんだかもう一ヶ月くらい前のような気がします。今は毎週やってた朝練も放課後の練習も筋トレもないので部活をやってたころに比べて朝は遅く登校し、午後は早く下校する、という生活スタイルが寂しくもあり、またちょっと嬉しかったりで、なんだか慣れないように感じます。この生活スタイルが当たり前になった時はもっと引退を痛感するような気がします。
 本題に入りたいと思います。今、三年間を振り返ると本当にたくさんのことがあったなあ、と素直に思うます。大きな石がゴロゴロ転がってまだ今みたくきれいに整備されていないサブグランドで先生も含めてせいぜい8人くらいで1対1や2対1の簡単抜き合いをやったことが自分のラグビーの一番最初の思い出です。1年生のころはいつも人数はギリギリで夏休みには前日の試合中に爪が取れたものの試合後にはふがいない試合内容に絞りが行われ、その翌日も試合だったので朝一で病院に行き「安静にしましょう」的なことを医者に言われ、そのことを先生に伝えたところ「まぁ医者はみんなそう言う。」とキッパリ断言され、当然のごとく最初から出場。関東大会予選では戸田が一回戦でケガをしてその後の試合は15人のメンバーには入っているがプレーには参加しないという状況でした。あの時戸田は本当に悔しかったんじゃないかな、と思います。でも実はよく思い出すとその当時は人数がギリギリだということをあまり意識してなかったなように感じます。そういうことから1年生のころは良く言えば無我夢中、悪く言えば何にも考えずにラグビーしてました。
 2年生になり新入部員はたくさん入ったものの合宿を終えるとその人数も悲しいことに半分くらいになっていました。たがらいまプレーしている2年生は言わば生き残りな訳で本当に凄いと思います。2年生の時の一番の思い出は新人戦の横須賀戦。あれは辛かった。チームは大敗で崩壊寸前になるし、自分は首を痛めるし。でもあの試合の後から今の3年生は今後のことなどを以前より筋トレの時とかによく話すようになったような気がします。そういう点で色んな意味であの試合は大きかったと思います。
 3年生になっての思い出はやっぱり最後の横須賀戦。試合には負けたことへの悔しさや引退することへの悲しみで涙が出ました。でも試合が終わってインゴールでたところくらいから悔しさや悲しみと同じくらい大きな達成感が湧いてきました。この達成感は4月で引退していたら得られなかったと思います。
 こう振り返ってみると自分みたくまだ3年弱しかラグビーに携わっていないものが言うのもなんですが、ラグビーというスポーツの中には色んな形容詞があるように思います。痛い、辛い、苦しい、怖い、臭いなどの残念な形容詞や楽しい、面白い、嬉しいなどの良い意味の形容詞がたくさんあります。まぁ比率はだいたい8:2くらいで残念な形容詞の方が多いです。でも良い意味の形容詞の2は仲間をはじめとする色んな人によって10にも20にもなるように思います。やっぱり仲間はいいなぁ~。自分が3年間続けてこれたのもみんなのおかげだし、みんなそれぞれ愉快で面白いし、芯があってしっかりした人間で本当に尊敬すべき存在です。本当にありがとう。
 もし自分がこの柏陽ラグビー部に入っていなかったらこの文章の冒頭に書いたようにたくさのん思い出があるとは決して言えない高校生活だったと思います。柏陽フェニックスは自分に思い出や、かけがえのない仲間などたくさんものを与えてくれました。今後「高校では何をやっていたのか?」と聞かれたら柏陽高校でラグビーをやっていました、と自信を持って言えると思います。
 最後に自分がラグビーを本気で取り組むことが出来たのは色んな人の支えがあったからだと思います。チームメートや家族はもちろん、OBの方々、クラスメートや担任の先生など。そして何より自分をラグビー部に誘ってくれて、技術的にも人間的にもたくさんのこと教えて下さった松山先生に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

 

 うずら(HO)

 この3年を振り返って思うことは本当に成長したなーってことですね。身体的にも精神的にも。まず3年間よく続きましたよね。僕みたいなビビりがラグビーなんて。自分でもほんとビックリ。筋肉はついたし体重は増えたし、ラグビー始めたときは足首タックルなんて考えらんなかったし。
 まー、これだけ痛くて苦しかった分、練習とか試合終わった後とかの充実感というか達成感とかはすごかったですね。おかげで3年間あっという間に経っちゃったというか、入部したのがついこの間…?のようには感じないけど、とても3年も前には思えないですね。ただ、桐蔭戦の後からの半年はリアルに瞬間でしたね。松山先生がこの半年は本当すぐ終わるぞって言ってたけどここまで早いとは。だからって別にやり残しがあるってわけじゃないんですけど。やれることはホント全部やり尽くしました。
 横須賀戦終わって1週間ちょい経ってやっと実感湧いてきましたね。「終わったんだなぁー」って。こんな実感湧いてきたから言えることなんですけど、秋まで続けてよかったですね。ボクも4月の始めくらいまでは辞める気でいて、真下とカウントダウンなんかしてたんですけど、今になって辞めなくてよかったなって思いますね。なんて言うか、おかげで負けちゃったのは悔しいんですけど、悔いみたいなのはないですね。やり尽くしたって胸を張って言えるし。不完全燃焼のまま終わることもなかったし。それも秋の大会まで続けたおかげかなって思ってます。なにより最後の50分間を3年間一緒にプレーしてきた仲間と共有できたことが嬉しいですね。ホント一生ものの宝です。そう思うからこそ、個人的には、今の1、2年にも秋まで続けて欲しいなって思います。この充実感とか感動を1、2年にも味わって欲しい。結局、最終的に決めるのは本人なんで、何とも言えないんですけど是非続けて欲しいです。
 さっき、全部やり尽くしたって書いたんですけど、唯一やり残しがあって、それは松山先生を勝って泣かせてあげられなかったこと。これは死んでも1、2年で達成してください。
 最後に、OB・保護者の方々3年間本当にありがとうございました。こんなに恵まれた環境でラグビーができたのもOBや保護者の方のおかげです。そして何より松山先生、3年間本当にありがとございました。

 

ハヤオ(LO)

 引退してから数日経ったけれど毎日のように横須賀との試合のことをふと思ってしまいます。自分は試合の1週間前に怪我してしまって練習に参加できたのは試合の前日からとなり、本当みんなに迷惑かけてしまいました。試合後はみんな今まで頑張ってきたことを思い出して泣いていたのに、自分は決戦間近にみんなと練習できなかったことが本当に心残りでした。しかし三年間ずっと一緒にやってきた仲間と号泣しながら抱きあったり、校歌を歌ったり、と思ったらいつの間にかみんなで爆笑したりと…  あの時が一番いろんな意味で将来思い出に残ると思います。

 思えば松山先生が自分を誘ってくれたこと、佐倉がラグビー部に入ったこと、森田やうずらやこういう変なメンツが集まったことなど、どれか一つでも欠けてたらラグビー部に入ってなかったことを考えると本当人生って変わるもんだなぁ、としみじみ思いました。笑
 入部したころはみんなでワイワイタッチフットやったり、3対3でサインを考えて抜きあったりとあまり痛みを知らないラグビー部員でした笑  そして桐蔭中等や隼人に負けてから、今まで負けた相手に「逆襲」を掲げて神奈川工業、桐蔭中等、隼人、学習院などと一校ずつ倒せた時はその度達成感が湧き嬉しかったです。去年横須賀に大敗した時はチームが散り散りになり、正直ラグビーは痛いし、キツいし、怪我したり、何回も辞めようと思ったけれど、やっぱり最後までやり遂げられて自信もつき、またラグビー部以外では決して味わえない感動をみんなとわかちあえて良かったです。

 これからはほっしゃんや二年を中心に一年と共に自分たちだけの新しいフェニックスを創っていってくれればいいと思う。そしてやっぱり三年の秋まで全員で花園予選を闘いぬいてほしい。後悔しないように三年の秋まで必死に練習してください。みんな頑張れ!あと個人的にさとしと井上、これからも頑張れよ!!!

 小森さん、大瀬さん、山本先生、OBや保護者のみなさん、言葉にできないほどの数多くのご支援ありがとうございました。

 松山先生、今まで本当にお世話になりました。ラグビー部に入っていなかったら毎日だらけた生活をしてたと思います。おかげ様で最高の仲間と充実した時間を過ごせました。フェニックスの一員になれて本当に幸せです。

 最後に三年のみんな…本当にありがとう

 

 やっさん(LO)

 現役を引退して一週間が経ち、日々一日はこんなに長いものなんだと感じる。今三年間を振り返るととても早かった。でも早いからといって中身は全然薄いものではなく、痛くてつらくて臭くてしんどくて、でも楽しくて幸せでこの上ない高校生活だった。今よく覚えてる試合は湘南工大との練習試合。初めてシード校とやりあえて柏陽が発展途上の波に乗ってきたことを感じた。そして桐蔭戦。みんなよく覚えていると思う。
 三年間ラグビーをやってて自分のなかで何を感じたかなぁと思うと、今までは人のことを考えることは考えてるようでできてなかったということ、そして今は人のことを考えることが前よりできるようになったと思う。今自分のしてることに自分がどれだけ根拠、理由、主張があっても実際にそれがまわりの人にとってはどう感じるものなのかを感じないと、それはただの自己満足や自分勝手というものにすぎなくて人に対して思いやりだとか優しさが欠けているんだと。練習中、試合中自分がこんなプレーをしたら相手にもしくは仲間にどう思われるか。それは日常でもよく起こり得ること。わかっているようでできているようでできてない。でもラグビーを通してそれが少しではあるけどできるようになったと思う。
 こんなことを感じるようになったのは三年の春をすぎてから。もし春でやめていたらこの些細なことだけど大事なことには気付かなかったと思う。なんでやってこれたかって言うとやっぱり仲間がいたから。あれだけ春で絶対やめると言ってた自分でさえ十月までやると決めたのは、仲間がいたから。春でやめてれば脱臼なんかしなかった。でもやめてたら自分は絶対に後悔していた。バカみたいと思うかもしれないけどやめなくてよかった。きっとやってる人だけがわかると思う。別に後輩たちに十月までやれって言ってるわけじゃない。でも春でやめるのと十月でやめるのとでは絶対に違うものがみえると自分は思う。感じることは人それぞれ。でも大切なことを得られると思う。自分はそれを身をもって体感できたと思う。
 最後に保護者の方、OBの方横須賀戦の応援、そして三年間のご支援ありがとうございました。柏陽ラグビー部の復活の機会をつくってくださってありがとうございます。柏陽ラグビー部の復活に携われたことを誇りに思います。
 家族へ。ケガばかりしてすいませんでした。それでも応援してくれてたことが嬉しかったです。
 一、二年生へ。偉そうに思われるかも知れないけど頑張った分だけ返ってくると思います。決して後悔を残さないよう頑張ってください。
 三年生へ。三年間ありがとう。みんなとラグビーができてわいわい騒げて本当によかった。
 松山先生へ。ラグビーを通してたくさんのことを学ばせてくださってありがとうございます。それとLOにしてくださってありがとうございました。先生の指導のもともがき続けられたことを誇りに思います。

 

リッキー(FL・ウェイトリーダー)

 三年間 最後まで支え続けてくれて本当にありがとうございました。合宿のことも破壊的フィットネスのことも数え切れないたくさん思い出として残っているが一番はやはり横須賀戦だ。

 以下、最後の日誌より一部抜粋

~ 本当に楽しかった。悔しかった。でも後悔はしていない。全てをつくすことができたから。その結果負けたのは事実。正直なところまだ実感がわかない。きっと明日の放課後、いや朝練がないことで初めて実感するだろう。一緒にに頑張ってきたみんなには感謝以外なにも言葉がでてこない。一緒に痛くて辛い思いしてきて、本当に最高の仲間だ。試合後みんなと抱き合い、泣いたことは忘れない。ありがとう。みんなに出会えて本当によかった。そしていつかまた柏陽でラグビーやろうよ! ~

 ぼろぼろで黄色くなりかけている過去の日誌を読み返してみるとなんか恥ずかしいくらいラグビーに必死だったんだなって思う。グランドから離れてもう一週間になる。放課後、練習が終わって帰っているやつをみるとちょっぴり羨ましい。しかしこんなに体に筋肉痛と怪我がないのはいつぶりだろうか。ようやく受験生になったつもりだがもうタックルしなくてもいいとなると少し寂しい気持ちになる。

 松山先生、いままで本当にありがとうございました。先生に会って高校生活だけでなく人生まで変わったような気がします。あのときあんなにしつこく誘われなかったらこんなに成長できませんでした。きっといつまでたってもうまくならないテニスを続けていたことでしょう。本当に感謝しきれません。最高の高校生活を送ることができたのは先生のおかげです。
 大瀬さん、小森さんにはたくさんのことを教えてもらいました。時には相談にのってもらったりしてました。本当に感謝しきれません。小森さんに声をかけてもらっただけで一体何度救われたことか。大瀬さんには技術からFL精神に至るまで教えてもらったことはたくさんあります。少しでも認めてもらえるように必死でした。本当にありがとうございました。

 OBの方々、時には胸をかり激しい洗礼を受けたり、時にはすばらしいウェイト場をくださったりと柏陽を支え続けてくれ本当にありがとうございます。僕らももうOBチームの仲間になってしまいました。これから先もよろしくお願いします。
 保護者の方にはいつも応援と差し入れありがとうございました。おいしかったです。

 そして一年生、二年生へ これからの柏陽をもっと強くして欲しい。この先はきっと辛いことも多いかも知れない、けれど仲間と先生を信じて頑張って欲しい。頑張った分だけ必ず自分達にかえってくるから今しかできないことを本気でやって欲しい。そうすればきっと三年の秋に最高の仲間と共に最高の校歌が歌えると思う。あまり偉そうなことは言えないけどこれからも応援しています。これからも破壊的フィットネス頑張ってね(^o^)/

 最後に柏陽でラグビーができたことを僕は誇りに思います。柏陽フェニックス、ありがとう。 

 

たも(FL)

 ラグビーを通じて得たものは、傷跡、体重、その他にもいろいろあるけど、やっぱり一番は仲間です。このメンツじゃなきゃ3年間続いてなかったと思うし、このメンツなら将来また一緒にラグビーしたいって心の底から思えます。フェニックス1期生としては一度バラバラになってしまうけど、年取ってから再会した時でもすぐに高校時代に戻れる気がします。でもまぁ、真下とは来年も再来年も横浜スタジアムで何度も会うだろうけど。とにかく、自分を育ててくれたこの環境に本当に感謝しています。柏陽の保護者の方の試合中の応援は今でも耳に残っています。

 一番の思い出は、最後の横須賀戦が終わったあとチームが最高にどんよりしてたのに、何分かしたらすぐにいつもの柏陽に戻っていて「あぁ、柏陽はやっぱ柏陽なんだな」って感じたことです。でも、その裏で福田が一番泣いてたのが実は一番のサプライズだったりします。あと、良くも悪くもチームのターニングポイントになったセブンス。シボり、シボり、シボり、そして2度の優勝もあって、すごく鮮明な記憶が残っています。そして、その中で自分はコンバージョンをこっそり5本決めてるってのがちょっとした自慢です。

 引退して受験生になってから、生活の中でラグビーがこんなに大きな比重を占めてたんだって改めて実感しました。例えば、日に日に衰える筋力とか、だんだん増える体脂肪などなど。でも、風呂入った時に傷口がしみないのはちょっぴりありがたいです。グランドの外から練習を眺めてると、特に1年生なんか半年しかラグビーしてないのになんであんなに上手いんだろうって思います。

 センター試験まで残り100日切った状態で部活を引退したけれど、4月くらいからガリガリ勉強してる周りの奴と同じ大学入ったら、人間の集中力って実はすごいんだなって思えるし、そんな自分が全国の受験生の中でのMVPになれるんだろーなって割り切って頑張れることが自分の中ですごく大きいです。MVP取るためにもこの冬をなんとか乗り切ろうと思います。

 1、2年生は新チームになっていろいろ試行錯誤して大変だけど、先生を信じて練習頑張って欲しい。Seize The Day!

 

マッチャン(NO8)

 まずラグビーをやって自分が変わったなと思うのは、スゴく感傷的になれたこと。中学の時のサッカー部では、最後の試合の時もなんの感情もないまま、むしろ『やっと終わった』って感じで、何人か泣いてる友だちもいたけど『なんで泣いてんのっ?』って思ってた。それはあんま自分がサッカー好きじゃなかったからかもしれないけど。
 それで、高校に入ったら、とりあえずサッカー以外のスポーツをやってみよーと思い、戸田とかキョータたちといくつか部を渡り歩いて最終的にバレーかラグビーにしぼられた。キョータと戸田はバレー部に傾きかかってたけど、自分は不器用だからどー考えてもバレーはできないと思い、説得して2人をラグビー部に引きずり込んだ。この選択はまじナイスだったと思う。
そしてラグビー部で練習や試合をして思ったのは、1対1で抜いて独走した時やタックルが決まった時、また、それらのナイスプレーをあとでビデオで見た時に先生が褒めてくれる時などに、スゴく快感を得るということだった。特に自分は褒められると『次も頑張ろうっ』てなるタイプだったのですごくためになった。サッカー部のときは、練習も試合も淡々とこなしてるだけだったけど、ラグビーでは1試合ごとに勝って嬉しい、負けて悔しいとか、ワンプレーごとに相手を抜いて気持ちいー、デブが突っ込んできて恐い、ノックオンして申し訳ないだとかいろんな感情がわいてくる。こんなに感情的になれるスポーツは他にないと思う。
 あと自分が大きく変わったと思うのは、人間力。中学の時の自分の人間力はどのくらいだったかと言うと、自転車に乗りながらお菓子が入ったゴミ袋をどっかその辺の草の茂みに埋め込むほどだった。その他にも、電車で床に座り込むのはまるで悪いことだと思ってなかったし、塾の帰りに車道を友だちと自転車で2列に並んで漕いだりとか。もちろん今はそんなこと露ほどもやってない。
あと感謝の気持ちを持てるようになったこと。柏陽フェニックスは、ホントにいろんな人がいろんな形で協力してくれて、いやがおううえにも感謝せざるをえない気持ちになっていった。
 最後に、秋まで続けたことで生じた意義を考えると、まず一番大きいのは感動を何度も味わえたこと。春の桐蔭戦でもスゴいみんなのパワーと団結力を感じて、モールでトライとった時とか試合中なのに嬉しくて涙が出るほどだった。それをさらに秋まで続けたら、もっと強くなってさらに強いチームに勝って泣けると思う。あと、これはまだ実感してないけど、ラグビー部で培った精神力は受験勉強でも必ず役立つはず。たぶん。まぁでもそれはみんなでちゃんと話し合うべきだと思います。自分も正直最初は、なんか春くらいになったらウヤムヤな感じで部活終わって受験勉強に入るのかなぁと思ってたけど、そこはみんなで真剣に考えた方が良いと思う。ウヤムヤなまま終わったら後悔するし、一度真剣に話し合えばチームも生まれ変わると思う。あと今のうちからコツコツ勉強しといた方がいーですよ。

チュー(SH) 

 自分が初めてラグビーというものに触れ、楕円のボールを放ったその時から、もう約二年半が過ぎた。そして一週間前の日曜日、自分は、たくさんの思い出が詰まったグランドに別れを告げることになった。最後の試合を終えた今思うことは、負けてしまったことは本当に悔しい。でも、今のメンバーとここまで一緒にプレーすることが出来て本当に良かった。どんな勝利にも勝る最高の時間をみんなで過ごせて本当に良かった、ということだ。そして、秋までラグビーを続けたことで、何かものすごく大きなことをやり終えた、そんな達成感を得られた。4月に秋まで続ける決意をした時は様々な不安があったが今は、ここまで続けてこられて良かった、と心の底から思う。
 ここで、柏陽高校ラグビー部に入って自分の何が変わったのかを考えてみようと思う。『翔碧』にも書いたが、自分の意見を相手に素直に伝える(ぶつける)ことが苦手だった以前の自分から、少しではあるが変われたように思う。それは、心から信頼し合える仲間がいたからこそ、相手に対して、自分の気持ちのありのままを伝えられるようになったのからだ。
 先にも書いたが、この柏陽高校ラグビー部には、どこのどんなチームにも負けない素晴らしい仲間がいる。そんな仲間を持てた自分は本当に幸せ者だ。キツい練習(特にこの前の『破壊的フィットネス』。どう考えても人生最大のキツさ。危うく海の藻屑ならぬグランドの土屑になるところだった。)の中でも互いに励まし合い、勝利を目指して毎日を過ごした。部活が終わった後の何気ない会話では、自分はいつも笑っていた気がする。特にうずら関係の話題で。

 しかしそんな生活が一変、今の自分には、思いっきり体をぶつけ合ったり、楕円のボールを放ったり、泥だらけになったり、なんてことはない。ついこの前まではやっていたことなのに。そんな自分のラグビー生活を思い返してみると、一番強く印象に残っているのは、やはり夏の合宿だ。本当に『ラグビー』しかない菅平。あるお店の横にタックルマシーン(?)があったり、ヘッドキャップを被ったキティちゃんがいた(ような気がする)。ちょっとびっくりしたのが、ラグビーボールを模したキーホルダーと、まんじゅうに似せたキーホルダーの形が9割5分同じだったこと。あまりにかわいいので買ってしまったが。自分用以外も含め3年間で10個以上は買っただろう。ラグビー自体にあまり関係の深くないことばかり書いてしまったので、自分達のプレーなどについて言えば、最後の合宿を全勝で終えられたことは嬉しかった。特に、ある試合の前では、「これ負けたらしぼりなんだよね?」「うん。」「そしたら泣いちゃうよね?」「うん。」「っしゃあ!頑張ろう!」というような会話がどこかであったようななかったような。そんな素晴らしい合宿だった。
 最後に、松山先生を始めとするコーチや先生方、ラグビーという素晴らしいスポーツを通して、プレーに関する事だけでなく数多くの事を教えて下さり、本当にありがとうございました。保護者の方々、試合の応援やアフターマッチファンクション、柏陽フェニックスTシャツなどなど、感謝してもしきれません。OBの方々、自分達がラグビーを出来る素晴らしい環境を作って下さり、多くのサポートをして下さり、本当にありがとうございました。マネさん、ある意味練習よりもキツい仕事。感謝の気持ちでいっぱいです。1、2年生、頼りない先輩だったと思うけれども、今までありがとう。松山先生を信じて、自分達の目標に向かって突き進んでください。そして、ぜひ横須賀高校に勝って下さい。応援してます。

 

 きむにぃ(SO・BKバイスキャプテン)

 3年間を振り返ってみて,ラグビーを始めたばかりの自分と今の自分とではどこがどう違ってるだろうか。まぁいろいろ違う。身長,体重,体つき,視力,まぁ学力は大して変わってない。いやむしろ落ちてるな。でも一番変わったのは人間っぽさだと思う。うまく言えないけど大人になった気がする。ラグビー始めたころはまだ中坊っ気が残ってて,まぁ具体的に言ってしまうと,電車で床に座ったり,座席と背もたれの間にゴミをつっこんでみたりと,発想も行動も中坊だった。もちろん今はそんなことしてない。そういった面で変われたのは,松山先生が「勝つにふさわしい集団になれ」「まわりから愛されない集団は強くない」と教えてくださったから。だからこれは,柏陽にきて松山先生に出会ってラグビーを始めたからこそ成長できた部分だと思うし,この流れがなかったら一生中坊っ気が残ったままだったかもしれない。
 松山先生は,自分たちが春の大会が終わったとき続けるかやめるか迷ってたとき,「秋までやらないと大人になってから後悔する」とも言ってくださったけど,そのとき自分はまだ桐蔭戦の余韻に浸っていて,「そんなことないでしょー。春でこれだけ感動できたからいーよー」って思ってた。あのときはばかだったね。ははは。まぁなんだかんだで続けたわけだが,今は秋まで続けたことは1ミリも後悔してない。いやむしろほんとに続けてよかったなーって思ってる。だから,後輩たちにも秋まで続けて燃え尽きてほしい。春で終わったらほんとにもったいないぞ。おれなんかまだやりてーもん。勉強なんかつまんないって。問題集と勝負してなにがおもしろいんだ。なんの駆け引きもないじゃん。まぁおれが偉そうに言えたことじゃないけど,1,2年のころからコツコツ勉強してればいい大学行けるって。なんだかんだ言ってラグビー部の先輩たちは頭いーぞ。かなり。おれを除いて。だから今のうちから勉強ちょっとがんばっとけ。
 話かわって10/12。試合の内容は自分の中で美化しておきたいのであまりだれかに「あそこがああでこうだったね」とか言われたくないし自分でも文章にしたりしたくない。いやべつに内容が悪かったからではない。ただ美化しておきたいだけ。まぁそれは置いといて,ノーサイド2分前の話。ギリギリでトライとられて,インゴールで待ってるとき,相手のキックがやたら遅い。絶対みんなイライラしてたな。もう時間ないからFWに「相手が蹴ったらすぐセットな」ってだれかが言った。言ってなくてもみんな全力疾走だったはず。ドロップキック蹴るから自分は一番最初に行かなくてわ,と思っていた。それで相手キッカーが1歩出た瞬間,みんな50m走ダッシュした。あのとき相手のキックがはずれたのか入ったのかわかんなかったけど,自分がハーフウェイラインに置いてあったボールに触る前にノーサイドになった。

 その瞬間,あぁ,ここにいるみんなとラグビーすることはほんとにもうないのか,もう部活の時間になってもグランドには出れないのか,FWが必死にだしてくれたボールを戸田がパスしてくれることもないし,そのボールを城戸にまわすこともカズを生かすこともケイ勝負することもコバの腹に入れることも,もう一生ないのか。と思って泣いた。松山先生は自分の指導力不足だと言っていたけど,そんなこと言われると申し訳ない気持ちが込み上げてくる。やっぱり勝って先生を泣かせたかった。それだけがほんとに心残り。後輩たちにはこの無念を晴らしてほしい。だから松山先生を信じてきつい練習もがんばってねー。
 最後になりましたがいままで支えてくださった保護者,OBの皆様,ほんとうにありがとうございました。これからも柏陽フェニックスをよろしくおねがいします。そして松山先生。先生がラグビーに誘ってくださったおかげで,宝物を,そうつまりトレジャーを手にすることができました。感謝してもしきれないとはこのことだと思います。ほんとにほんとにありがとうございました。

 

ドキンちゃん(CTB)

 高校入ってラグビーのある生活を始めて2年半。最後の瞬間まで長かったか短かったか良く分からないけど、充実していた事は確かです。修学旅行でさえ走りこんだり、大量の肉を食べ(させられ)たりしたし。とにかくここ2年半は中身の詰まった濃い時間だった。きっと楽なスカスカの生活って選択肢もあったけど、終わってみればつくづくこっちの生活を選んで良かったと思う。それもこれも柏陽フェニックスに関わった全ての人たちのおかげです。ありがとうございました。そして、特に松山先生。先生がいなかったらこんなに誇れる高校生活をおくれなかったです。最高に幸せな、素晴らしい時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。
 2年半やってきて、いろんな試合があったけれど、一番楽しかった試合は4月にやった桐蔭戦。ラグビーには野球みたいにコールドと言う制度が無い。おかげで1年の時の中等戦なんか、かなり点差が開いて、それなのに全く攻める事ができなくて、DFの時間がすっごい多くて、はっきり言って「キツくて長かった」っていう印象しか残って無い。けど桐蔭戦は同じくらい点差が開いてたのにも関わらず、DFの時間が全く苦にならなかった。良いプレーが出来たとかそういう事では無いけれど、とにかくタックルに行くのが楽しくて楽しくてしょうがない、そんな試合だった。今思うとなんか自分が自分で不気味なくらい。タックル中毒と言ったところだろうか(多分それでもEBIより軽度だが)。でもそれくらい良い意味で狂えてたと思う。結構な点差で負けはしたけど、間違いなく自分の中では楽しめたベストゲームだ。
 一番悔しかったのはやはりラストゲーム・横須賀戦。このゲームに臨む前、最高の準備をした。どこにも負けないくらい走り、横須賀のDFを意識したAT練もしたし、生活面でも勝者に相応する態度でいた。洗脳されたように勝つ事で頭がいっぱいだった。別に決して横須賀をなめていたわけでは無い。それだけの自信があったからだ。試合中だってそうだった。ラスト10分きって負けてて、自陣からなかなか抜け出せなくても「劇的なトライで勝つんだ」って思ってた。でも負けてしまった。と、いろいろあったけれど、言いたいのはすごい練習したのに負けて悔しかったって事では無い。むしろ全てやりきったのでその点に関しては悔しい事は何もない。悔しかったのは、負けた後松山先生に「申し訳ない」と謝らせてしまった事だ。多分3年生全員同じだと思う。本当は勝って泣かせるはずだったのに。今まだ18年しか生きてないけど、人生の中で、そのことが断トツで悔しい。
 話は変わるけど、1、2年生へ。ストレートに言うけど、3年秋まで続ける方が絶対いい。これは絶対。心配する必要ないかもしれないけど、もし辞めようと思ってたら必ず考え直して欲しい。4月に辞めたとして、そんでそっから本気で勉強しまくって大学に行く…。それも良いのかも。でも辞めて良かったと思えるのは多分受かったその一瞬だけだと思う。長い人生で見たらほんのわずかな一瞬。何十年後かにあの時辞めなきゃ良かったって思うならそれは最悪だ。だってその後悔は一生続くから。残念ながら死ぬまで。本気で考えた末に、人生のなかの一瞬の幸せをとるために一生の後悔っていうリスク背負ってまで辞めて勉強頑張るならそれでいい。本当に後悔しないなら。って言っても100%後悔すると思う。
 一、二コ上の歳もほぼ変わらん奴が何言ってんの?って思う人もいるかも知れないけど多分、いや確実に何十年後かに響くと思う。長々すいません。要は始めの方に言ったとおり、辞めたら絶対後悔するから最後まで続けてって事です。いろいろと長く書いてしまったけど、最後に1、2年生たちに望むのは
「勝って松山先生を泣かせて欲しい」
って事です。そんなゲームで勝てる、フェニックス1期よりもずっと良い、最高のチームになるよう頑張って下さい。

 

カズ(WTB・規律リーダー

 県立横須賀高校と対戦し引退してから1週間ちょっと。…ずいぶんと時間が長く感じる。引退したのが遠い昔のような気がして、まだ1週間しか経っていないのかとしみじみ思う。ラグビー部に途中入部してから生活の大半を占めていたラグビーから急に離れると、心の真ん中に穴がポッカリ空いたようで何か物足りない。日常にラグビー用語が飛び交っていた日々がなくなり、どこかぎこちない。怠惰な生活を送っている訳ではないが、やっぱりシックリこない。それだけ仲間と過ごしてきた時間とラグビーが自分にとってかけがえのない大きな存在になっていたのだろう。
 試合内容、結果に対して満足していると言ったら嘘になるが、決して後悔はしてない。正直、最後は満身創痍だった。試合前の練習であれ以上やれと言われてもたぶん無理だったろう。やれることはやったし、モチベーションも最高の状態で臨んだ。ただ、柏陽ラグビー部現役選手として、もう皆とグラウンドに立てないんだな、と思うとやっぱり寂しい。

 目標にしていた相手に負けて終わっちゃったけど、皆で泣いて抱き合って、けど最後はやっぱりバカしながら笑い合って、本当に幸せだと思う。もう人生であんなに泣いて、あんなに心の底から笑うことないかもしれない。花園予選まで皆とラグビーを続けて本当によかった。
一つ心残りなのが部員全員そう思ってると思うけど、松山監督を勝って泣かせたかったということだ。それが一番の3年間の感謝の表し方だと思ってたのに、自分たちはそれができるほど成長して強なれなかったのが残念だ。

 自分たちの代は神奈川県ラグビー界の歴史を動かすことはできなかった。けど柏陽ラグビー部はこれからも創られ続ける。新たにキャプテンも決まり新体制で柏陽のラグビーが創られ始めている。
自分たちの代よりも必ず強くなる。いや強くならなきゃいけない。自分たちを目標にしてはいけない。高校ラグビー界には上には上がいる。けど、どうせ上を目指すなら中途半端じゃなく志を強く持って至高の柏陽ラグビーを目指して欲しいと思う。松山監督についていけば間違いないことは知っているはずだから、もっと貪欲に食らい付いていけば大丈夫だ。

 最後になってしまいましたが、監督とコーチの方々のご指導、OBや父兄の方々のご支援、本当にありがとうございました。柏陽ラグビー部の一員であることに誇りを持ってこれからの人生を歩んでいきたい。

 

コパ(FB)

 自分が入部したのは、1年の時の文化祭の招待試合を見たのがきっかけだった。相手は隼人だった。ラグビーの知識なんか全くないのに、ラグビーをしている男30人を見てるだけで訳も分からず胸が高鳴った。試合を見た後で部員に話を聞くと、その招待試合は柏陽的にはすごく出来の悪い試合だったらしい。でもその試合の柏陽フェニックスを見て自分は感動し、入部した。招待試合くらいしかラグビーを見る機会なんてめったになかったから、もしかすると松山先生があの招待試合を催してくださらなかったら今の自分はなかったのかもしれない。入部してから2年間ラグビーをしたけど、招待試合で当時の柏陽フェニックスが自分にすごい感動を与えてくれたように、自分も入部してから、試合を見てくれた人に少しでも感動を与えることが出来てたら嬉しい。

 柏陽は多分県内で、いや全国的に見てもラグビーをする環境は最高峰だろう。OB会や父兄は部員がびっくりするほどの応援と援助をしてくれるし、こと指導に関しては顧問1人だけでも贅沢すぎるのに、元アカクロ戦士とか現役トップリーガーとかがしょっちゅう練習とか試合に、合宿にすら来てくれるなんて有り得ない贅沢だ。支えてくれた全ての人に感謝です。

 当たり前だけど、ラグビーは本当に素晴らしいスポーツだと思う。ラグビーに出会えた事が自分の人生の中で最も幸運な事のような気がする。だから入学当初から熱烈な勧誘をして下さった松山先生には感謝してもし切れないです。本当にありがとうございます。
ラグビーをやって得たものは色々ありすぎるけど、1番はやっぱり仲間だろう。普段はこれでもかと言うほど下らない会話しかしない仲間だけど、一人残らず尊敬してる。今まで一緒にラグビーしてくれてありがとう。楽しかった。

 引退して1番思うのは、人生に1度しかない高校生活でラグビーが出来る事が、しかも松山先生の下で出来るという事が幸せ以外の何物でもないという事。心の底からそう思う。現役でプレーしてる時は痛いし辛いからなかなか目の前の幸せに気付かないけど、引退してみたら、あのアルティメットも、あの花園予選前の地獄の1週間も、全ての練習全ての試合が、言うなればグランドで楕円球を触っているだけの瞬間でさえ幸せだったと言える。だから後輩に言いたいのは、先生の言う事を全て信じてウエイトなり練習なりを愚直に繰り返せば、それ自体が幸せな事で、先にはもっと大きな幸せが待ってると言う事。期待してます。頑張ってください。

 

ケイ(フェニックス第1期キャプテン)

 振り返ってみると、2年半、本当にいろんな人に支えられてきました。思えば1年の4月、じゃれあいじゃない本気の部活に入りたくてラグビー部に入ったけど、ここまで熱くなれるとは思わなかった。こんなに思いっきりラグビーができたのも、本当にいろんな方の支えがあったからなわけで、もう本当に感謝感謝です。

 1番の思い出を考えてみると、なんかまだなにもかもはっきりと覚えすぎていて思い出という感じではないけれど、やっぱり春の桐蔭戦のFWのモールトライと、セブンスで優勝が決まった瞬間は最高だった。あと、“キドちゃん”が“キドさん”になった瞬間も衝撃だった。まじ怖かった。なんか全然まとまんない文章だけど、本当に柏陽に入ってよかった。本当に柏陽でラグビーができたことを誇りに思えるし、一生の宝物ができました。

 唯一心残りなのは、勝って松山先生を泣かせられなかったこと。最後の試合は本当に勝ちたかった。ただ、あの試合はみんな本当にベストパフォーマンスを出したと思うし、1つもやり残さずできることを全部やったその上をいかれたからもうしょうがない。悔いもないんだけど、やっぱり勝って松山先生を泣かせられなかったのは、なんかつーかこう、悔しいというか申し訳ないというか…なんか寂しいです。1、2年、頼んだぞ。

 さて、今後の過ごし方ですが、ラグビーを通じて最高の経験をさせてもらった分、しばらくはおとなしく受験勉強でもしようかと思っています。めんどくさいけど、ラグビー終わったらいくらでもやってやるとか言ってきた手前、しょーがないっす。自分のためにも、親に感謝するためにも少し勉強しないと。ただ、柏陽のあのフィットネスに比べたら全然楽なんで悪くはないです。まったく勉強しなかったから間に合うのかどうか知らんけど、とりあえずできる限りやってみようと思います。そんな感じです。

 では、後輩の皆さん、ラグビーフェスタでお会いしましょう。また、2年半、柏陽ラグビー部をいろいろな形で応援してくださった方々、本当に本当にありがとうございました!!……勉強しま~す。

2006年 初めての公式戦(横浜セブンス)

  

秩父宮ボールボーイ・侍バツベイと。

ちゃっかりTVKデビュー

タマリバジャージで

早稲田大学スクラムコーチ・テリー来たる

夏合宿

海の公園

夏登山

まりえ

修学旅行

激励会

立教ラグビーフェスタ

破壊的フィットネス

ラストゲーム

 

松山吾朗(監督) 

 ドキンちゃんの文章あたりを読むころには、PCの画面がほとんど見えていない。涙が零れ落ちたのは1012日以来だ。こんなに心の底から感情を揺さぶられたのは人生で初めてだ。ともに過ごした2年半は、私にとっても一生の宝物だ。ラグビー部をゼロから創り上げた3年生に心の底から感謝。

そしてその感謝の気持ちを表すためにも、そして昨日も今日も必死に楕円球を追いかけている奴らのためにも、この感傷的な気持ちはきっぱり捨て去り、持てる情熱と時間のすべてを新チームに使っていこう。柏陽ラグビーに関わる全ての人の気持ちにこたえたい。フェニックス第2期「チーム・ほっしゃん」、ケイたちの代にくらべたらヘタクソだしセンスなど毛頭ない。それでも志と意地と誇りのある限り、きっとやれる。きっとケイたちを超えられる。こいつらならやれる。心の底からそう信じている。

柏陽ラグビーの関わるすべての皆様、柏陽ラグビーを応援してくださる全ての皆様。新しいシーズンもみんなで試行錯誤しながら、本気の毎日を送ります。応援宜しくお願いいたします。

 

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