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Make the history! フェニックス第1期、3年間のノーサイド

2008/10/13

 

1012日午後1時、ノーサイドの笛が秋の空に響き渡り、その瞬間、2年半に渡って走り続けたフェニックス第1期の戦いが終わった。

試合前日のジャージ授与式

 

この日が最後の柏陽練習となった。

振り返れば9ヶ月前の新人戦、この日対戦した横須賀高校に「5-46」で粉砕された。そこから横須賀を倒すことだけを夢みて、楕円球を追ってひたすら走り回った。この日に掲げたゲームプランは「激しさ」「エリア支配」「人間力とチーム力」。スキルやサインプレーがどれだけ秀でようと激しさには叶わない。激しさは技術ではかわせない。それがラグビーだ。そして自陣22mに横須賀を入れようものなら、どれだけしつこくタックルしようと、ジリジリインゴールに近づかれることは承知。ならば自陣22mにとにかくボールを入れないことを勝利の条件とした。そして最後は一人ひとりの人間力の結集とそれに加わる不思議な力。日本ラグビーの偉人・大西鐡之祐氏の言葉を借りると、

ラグビーとは人間と人間とが全人格の優劣を競うスポーツである。しかも15人の人格が形成するひとつの新しい超人格的なチームが、15の結集された力にある何ものかが加わって闘う時、始めてそこに相手に勝る力が生まれ出る

 

この3つをテーマに掲げ、キックオフを迎えた。前半は概ね予定通りの展開に持ち込むことができた。相手に集中力とスタミナが存分にある時間帯に、エリア争奪で7割方支配。しかし相手もキックによるエリア勝負に焦点を絞りきり、柏陽陣に入っての1次攻撃ですら、ボールを回す意思が全くない。ハーフタイム直前、ゴール隅に向けてグラバーキックを転がし続ける嫌な戦術にまんまとはまってしまい失トライ。「0-5」で前半を折り返した。

後半、予定していたエリアで予定していたサインプレーを試みるも、練習試合のようには破らせてくれない。持っている必殺サインを出し切るが、想定を遥かに上回る相手DFの前にゲインが切れない。自滅を防ぐためにキックで敵陣にボールを運ぶも、相手の徹底したキック&ラインアウト選択で、次第に自陣に釘付けとなる。そしてついに、ラインアウトが合わされるようになり、相手のゲームプランにはまってしまう。ラストワンプルー、スコアは依然として「0-5」。最後の最後まで逆転の独走を信じていたが、再びインゴールを明け渡した。「ピッ! ピッ! ピー!! 」ノーサイドの笛が響き渡り、すべてが終わった。

2年半にも渡ってキャプテンを務めたケイ。歴史を創りました。

選手たちは2年半、そしてこの試合もやれることを立派にやりきった。横須賀に勝てなかった原因は、指導者の力不足だ。2年半も信じ続けてくれた選手たちに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。それ以外に理由があるとすれば、横須賀高校が本当に素晴らしいチームだったということ。試合後にわざわざ我孫子から駆けつけてくれたNECの西田創選手がこう言った。「横須賀高校と一人ひとりを比べると、15人の足し算だけならもっと差はあったかもしれない。でも柏陽の生徒たちは足し算だけじゃなく、ところどころに掛け算もあったように感じました。」ありがたい言葉だ。しかしこの日は、横須賀の中にもたくさんの掛け算が存在した気がする。

3年生13名、2年生12名、1年生9名

「ラグビーの勝敗は試合前に決まっている」これが持論だった。ゲームで起こりうるすべてのリスクを練習で取り除き、キックオフの瞬間まで「勝つに相応しい集団」としての行動し、相応しいモラルが伴っていたなら、キックオフの笛はすなわち勝利を意味すると思っていた。早稲田でプレーしていたときだって、立教を率いて秩父宮で青学を破ったときだって、そう信じていた。しかし、それだけではないことを教えてくれたのが横須賀だった気がする。我々が勝つに相応しい集団として日々を完璧に過ごし、すべての準備をしてキックオフに臨んだとしても、相手も同じようにその瞬間を迎えていることだってある。きっと横須賀はそんなキックオフを迎えていたはずだ。そのことに気付き始めたのは新人戦での「546」の大敗。抽選会で横須賀を引き当ててガッツポーズをした理由は、横須賀ならきっと同じ価値観を大切にして決戦に応じてくれる。勝っても負けても相手をリスペクトしたままの関係でいられる。だからこそ、横須賀が最後の相手と決まったときに心底嬉しかったのだ。

30分も泣き続けたかと思えば、その後は1時間も大はしゃぎ。うちらしいと言うか・・・。負けてこんなに大騒ぎ大笑いしているチームは見たことがありません。

繰り返すが、選手たちはすべてをやり尽くしてくれた。タラレバなど不要だ。十分立派に戦った。部員0の休部状態からの復活劇、「先生、俺ラグビーやりたいんですけど」ケイの口からその言葉が出た瞬間に生まれた柏陽フェニックス。「Make the history(歴史を創れ)」を合言葉に、一人集まり、二人集まり、平沼高校で合同チームとして練習し、文化祭招待試合で隼人にズタズタにされ、公式戦では横須賀に、桐蔭中等に、神奈川工業に木っ端微塵に粉砕された。やがて下級生が入り、少しずつ筋肉もつき、少しずつ練習メニューも本格的になり、ついに隼人に逆襲を達成し、横浜セブンスで優勝し、桐蔭学園に挑み、3度目の夏合宿を終えて神奈川工業と桐蔭中等を破り、横浜市大会準優勝という結果を残した。長年にわたって県立ナンバー1に君臨し続ける横須賀の壁を打ち破るという歴史は創れなかったが、部員0の休部状態からここまでの結果、そしてこれほどのクラブをケイたち3年生は創り上げた。堂々たる歴史を確かに創造した。立派だ。心の底から尊敬する。

どうかこれからの人生、この2年半で感じたものを生かし、そしてこの一生ものの仲間を大切にし、人生を力強く切り開いていって欲しい。そして何十年も先のどこかの居酒屋でこの仲間たちが集まり、アルコールを体に流し込みながらこの日々のことを思い出し、苦いような懐かしいような微笑みを見せてくれたらいいなと思う。

いつも温かい目で見守ってくださった保護者の皆様、OBの皆様、2年半本当にありがとうございました。

※ 来週以降に3年生特集をアップしたいと思います。ご期待ください!

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