大きくする 標準 小さくする

フェニックス3期生 入部式

2008/05/13

 510日、フィニックス3期生の入部式が行なわれた。

この日はあいにくの雨。レスリング場で1時間半のブレイクダウン練習が行なわれ、その後にいよいよ入部式。ファーストジャージが並べられ、それぞれが好きな番号のジャージを身に纏った。

 

 新入部員11名、一人ひとりが自己紹介と抱負を語り、最後はキャプテン・ケイからの歓迎の言葉と校歌&スリーチアーズ(for Hakuyo High School & new comer!)で幕を閉じた。

数ある部活動の中から、本当によくラグビーを選んでくれた。新入生には感謝の気持ちでいっぱいだ。

ラグビーという行いは、それ自体がハードだ。きついときもある。痛いときもある。しかしそれらを補って余りあるほどの、深い味わいがある。初対面の相手でも「え?ラグビーやってたの?実は俺も・・・」というだけで、もう肩を組んで飲みにいきたい気分になる。世界中どこにいても「ラグビー」という単語だけで、異常なほどの同朋意識が生まれるのだ。

100m×70mのグランドで大小太細速遅敏鈍剛柔巧拙強優、30の決して似つかわしくない個性が一つのボールを追いかける。誇り、絆、勇気、責任、自己犠牲、連帯、意気、歓喜、狂気、妙味がグランドを覆う。これほど涙とビールが似合うスポーツは他にないと確信している。

 以下、私の師でありスポーツライターの藤島大氏の言葉を引用

フランスの国語のテキストとしても用いられているラグビーについての一節。「激しい肉体接触のさなか、フェアを貫く理性はあくまでも要求される。小さなインターバルの連続は、いくばくかの考える時間を与え、つまり、考える人であることを強いる。あなたは骨と肉を狂気にしなくてはならない。しかし、あなたは哲学の学徒でもあるべきだ。」

ラグビーとは、人間が本物の人間である為に不可欠な、すぐれて教育的スポーツだ。なぜ、サッカー王国ウルグアイにラグビーが存在し続けるか。それはカトリック系の私立学校には、子弟の人格教育の手段としてのラグビーフットボールを放棄する気はまったくなかったからだ。してはならないこと。しなければならないこと。すべてのラガーマンは、例えば自分より10キロも重い宿敵が眼前に迫るトライライン直前にて、それを知るのである。

1年生諸君

今日、この日がスタートライン。歩みだしたからには、決して道半ばで投げ出さないで欲しい。人間は「諦める癖がつく」生き物だ。すぐには上手くいかないさ。時には辛いし、時には痛いし、時にはやっていく自信を失うこともあるさ。でも諦めないで欲しい。投げ出さないで欲しい。「誰のせいにもせず」「自分を勝手に見くびらず」「楽しむ心を持って」突き進んで欲しい。諦めるのは簡単だ。誰でもできる。いつでもできる。

 上級生を見て欲しい。彼らはまさに生きる見本だ。みんなスタート時点ではもっと弱かった。すぐに逃げることやサボることばかり考えていた。投げ出そうとしたことだってある。それでもラグビーを続けてきた。そして今、誇りや責任、絆や人間力、感謝や感動、その他たくさんの一生モノの宝物を手に入れている。人生苦しいときが上り坂。きついとき、悩んだとき、つまりピンチこそ「今がチャンスだ!」と考え、目の前の壁と自分の限界をぶち壊して欲しい。一人じゃない。仲間がいる。自分のために、仲間のために。

たった一度の高校時代、楕円球を触っちまったらもう仕方ないよ。

「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に永遠に少年の魂を抱かせてくれる」

元フランス代表主将 ジャン・ピエール・リブ

さぁ、腹をくくってラグビーライフをエンジョイしようじゃないか!

コメント

名前:
Eメールアドレス:
コメント:
ファイル

画像の英字5文字を入力して下さい。:
パスワード: