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追いかけ続けた背中 「vs横須賀高校」

2010/04/14

 追いついた。長い間、本当に長い間追いかけてきた。4月11日10時58分、海の公園なぎさグランドにノーサイドのホイッスルが鳴り響いた。最終スコアは「5-5」。公式記録には「引き分け」と記載された。「たられば」を言い出してはキリがない。結果だけが全て。柏陽高校ラグビー部・フェニックスは、追いかけ続けた背中、横須賀高校についに追いついた。

 2006年、部員0から出発したフェニックス1期佐倉組は、なんとなく「公立NO1」という肩書きが欲しかった。横須賀高校に初めて挑んだのは冬の新人戦。1年生チームの淡い期待は木っ端微塵に打ち砕かれた。「0-69」。2007年冬、佐倉組がついに最上級学年となってむかえた新人戦。相手は横須賀高校。今度は同じ学年同士。実は自信があった。「5-46」誰もが唖然とした。お互いの本音を言い合った。初めてチームが崩壊した。

 2008年夏の練習試合。「31-12」で横須賀高校に完勝。内容的には余裕すらあった勝利だった。2008年花園予選。「横須賀だけを引け」と送り出した抽選会。見事に1回戦「柏陽vs横須賀」が実現した。今度こそ本物の自信があった。夏の感触からすると、大勝すら狙いたくなった。万全を期すために「横須賀をなめるな!公式戦は別物だ」と言ってグランドに送り出した。「0-10」あれほどの攻撃力を持つ佐倉組のアタックが、何一つ通用しなかった。横須賀を称えるしかない完敗。伝説ともいえる佐倉組のドラマが終結した。

 そのころから、柏陽フェニックスが世を生きるアイデンティティは「打倒横須賀」となった。どんなときも横須賀高校を意識した。日常の練習中もつらいフィットネスの最中に「横須賀ぁ~!」の叫び声はグランドに響き渡った。別の相手に練習試合で負けた後の反省練習のときですら、「横須賀横須賀ぁ!!」の絶叫がやまなかった。

 2009年9月、堀内組唯一の横須賀戦は、非公式な定期戦という形で行われた。実力差は30点以上あるに違いなかったが、「5-12」でノーサイド。佐倉たちから受け継いだ打倒横須賀の夢は、オギ組へとそのまま引き継がれた。

2010年4月11日、10:00キックオフ

 序盤からボールを大きく動かすも、横須賀の硬いDFがロングゲインを許さない。予想通り動きが硬く、ボールを丁寧にコントロールできない。それでも粘りのDFで対等にゲームを進め、やっぱりロースコアのDF勝負となった。まりもの高く空中で曲がるハイパントが相手バックスリーのミスを誘い、敵陣ゴール前へ。相手ボールスクラムを猛プッシュしてこぼれたボールに、ノブナガが飛び込んだ。歓喜の先制トライ。

 しかしリスタートキックオフでミス。ペナルティーを重ねて自陣深くへ。必死でタックルに刺さるも、二周りは大きな相手FWが5分以上かけてジリジリと5cmずつ進むピック&ゴー。20回ほどかけてインゴールをこじ開けられてしまった。前半終了して「5-5」。

 後半はこの試合で優位に立つキックとセットプレーに勝機を見出すべく、キックチェイスを徹底。しかしやはりペナルティーを犯して自陣での苦しい時間が続く。タックルタックルタックル。嵐のように膝下に突き刺さる。横須賀がボールをBKに展開すると、柏陽BK執念のDFでゲインを許さない。セットプレーの優位は変わらない。ラインアウトは勝負どころでことごとくスチールに成功し、スクラムの圧勝は精神的なボディーブローを相手に与える。キックとセットプレーで不利にたつ横須賀はいよいよプレーを「FWのゴリゴリピック&ゴー」に絞り込む。

 延々と続く「横須賀ピックvs柏陽膝下タックル」。新チーム始動依頼、膝下タックルの動き作りを入念に続けてきた。実はこの1週間はまさにこの場面を想定し、すべてのタックル練習はゴールラインを50cm後ろに背負った状態で行った。一度のオンプレーでいったい何回タックルしただろう。かなり長い時間、ゴールラインを背に延々と執念の膝下タックル。緊迫した展開。「5-5」からスコアは動かない。お互いの意地とプライドがゴールラインまであと3mという空間で延々と衝突を続けた。

 観客席の誰かがつぶやく。「もうお互いここまでやったんだから、引き分けの方がいいんじゃない。」ピッピー!青空にノーサイドの笛が響き渡った。10年近く県立NO1に君臨し続けてきた横須賀高校をこの大会で追い抜くことはできなかった。しかし追いつくことはできた。松山が指揮する柏陽の長い長い呪縛「打倒横須賀」は終わった。5-5。

「胸を張れ!上向け!お前たちはすごいことをやってのけたんだぞ!佐倉たちの夢を、堀内たちの夢、横須賀高校に追いついたんだぞ!」偽りなく満足だった。実は実質13人で試合を行っていた。2人は到底試合には出ることができないほどのケガを抱え、試合中も姿と声だけでチームに貢献していた。

 3回戦進出は抽選で決められた。ラグビーはそもそも「対抗戦」という考えがあり、「何月何日にどことどこが試合をした」これだけで完結する関係を大切にしてきた。だからこそノーサイドの後は相手を心から讃え、アフターファンクションなどで同志の絆を強めることに、ラグビーの文化的アイデンティティとプライドを見出した。近年主流となりつつある勝ち点制によるリーグ戦やトーナメント戦は、本来好まないスポーツだった。しかし時代の流れ上やむを得ず、近年はチャンピオンシップを争う大会へと姿を変えた。そんな歴史的は背景の名残として、「引き分けは引き分け。相手を讃えて終わり」の考えは残り、やむを得ず抽選によって「勝利」ではなく「次戦への進出権」を決めている。

 ノーサイドから1時間が経過し、大会本部で抽選が行われた。結果にはこだわらない。しかし抽選次第では、松山が指揮する柏陽はこの瞬間に終わってしまう。そう考えると、少しでも長くファーストジャージを着ていてほしかった。骨の髄まで愛するその姿を、目に焼き付けたかった。

「この試合は引き分け。横須賀とは五分五分。それ以上でもそれ以下でもない。(抽選で)外れても下を向かずに3回戦に進む横須賀を称えよう。当たっても絶対に相手様の前で喜ぶことなく、死闘の限りを尽くした相手をスリーチアーズで称えよう。」そう意思統一し、キャプテンだけでなく全員で本部前に集まった。

 封筒を開け、オギが静かに一言。「ハイ。(進出権ありを)引きました。」そして「スリーチアーズフォー横須賀ハイスクール!! ヒビップ フレー ・・・!!」会場を囲んだ100人以上の観衆は、その姿からどちらが当たりくじを引いたのかは、まったく伝わらない。4月18日、3回戦「vs日大高」、横須賀高校の思いを、県立高校の思いを乗せて、フェニックスは戦うこととなった。

大応援団、ありがとうございました!

ミット

『横須賀戦前日、気持ちが高ぶってなかなか眠ることが出来なかった。今までやってきたことを思い返しながら横須賀と闘えることを心から楽しみにしていた。試合の日は不思議なほど緊張はしなかった。今まで積み重ねてきたものを確かめたかった。試合が始まって最初は少し不安もあったが試合が進むに連れてなくなっていった。5-5に追い付かれた時でも絶対勝てると思っていた。だけど、やっぱり横須賀は強かった。近場では押し込まれたし、DFも手強かった。結果的には上にあがれたけど試合は引き分けだったので今度やるときは更に練習を積み重ねて横須賀を圧倒出来るようになる。』

チマ

『待ちに待った横須賀戦。緊張もあったがモチベーションは最高でした。先輩方が見せてきた激闘、それを超える試合ができるのか。そんな不安もありました。開始からモールが組めずイヤな滑り出し。サインプレーもろくにできない。不安が的中しました。できることはスクラムとタックル。スクラムで押してラックサイドでタックルする。それしかできませんでした。それでも気持ちを強く持ち続けて5-5でノーサイド。悔いが残る試合でした。次は日大戦。横須賀に恥じないプレーをします。』

まりも

『横須賀は常に意識してきた相手だったので試合するのがずっと楽しみで楽しみで正直試合前2日は布団に入ると試合のイメージが頭にどんどん浮かんできて寝るのが大変なくらいでした。でもいざ試合となると心地よい緊張とタイトなゲームで時間があっという間でした。結果は引き分けで勝つために今までやってきただけにそして先輩たちの分までそして松山先生のためにも勝つと決めていた分悔しかったです。でも運良く次があるのでこの悔しさを次にぶつけたいです。』

チャー

『俺らの代では絶対勝とうと決めて闘った横須賀との死闘は引き分けて正直悔しかったです。先生や大瀬さん、小森さん、先輩達に勝利をもって恩返しをしたかった。自分は今日はセットプレーの面ではいい感じでしたが、個々の接点で低くて強いプレーができませんでした。日大戦はもっと活躍できるように頑張ります。』

ノブナガ

『試合前日から緊張してました。でもいざ試合となると緊張は消えて緊迫した試合展開を楽しんでプレーできた。結果は引き分けだったけどやっぱり勝ちたかった。でも抽選により次に進むことができたのでこの一週間もう一度気持ちを入れて頑張ります。』

タニ

『ここ一ヶ月横須賀に勝つことだけを目標に練習してきたので、引き分けという結果に終わって悔しかったです。タックルにあまりはいれなかったし、ボールを持って勝負することも出来ませんでした。チームの雰囲気も良くない時間が多かったです。幸運なことにまだこのチームで試合が出来るので、最高の状態で日大戦に臨みたいです。』

BIG HIGH

『まずなりよりも次につながってよかったです。あれだけ練習したサインプレーでも、パスでも本番になると上手くいかないことを痛感した一日でした。しかしながら、どんなにピンチが訪れても仲間を最後まで信じてDFした時のターンオーバーは最高でした!!まだまだ個人的には不完全燃焼だったので次は体張って臨みたいと思います。』

オギ

『この試合は特別な試合でした。松山先生のもとで横須賀とやれるのは最後だったので。一昨年の花園予選、昨年の練習試合、そして今回の関東予選、松山先生のもとで一回も横須賀に勝つことができませんでした。ただただ悔しい。横須賀のくじをひいてから、チームは異常に打倒横須賀でやってきたので。横須賀よりいい練習ができたのかをリアルに毎日考えました。低さにこだわり続けたタックル練。試合三週間前に、先生に「辞退しよう」と言われ、なにをどうすればいいのかわからなくなったこと。先生のいない練習での異常な盛り上がりで、どん底から這い上がったこと。なぜか楽しくてみんなスマイルだったフィットネスなど。試合前は最高の準備ができていたと思います。でも勝てなかった。やっぱり何回考えても、悔しい。横須賀の分も、次の日大戦は、最高の試合をします。18日、負けて泣くのはもういいから、先生を一度でいいから、勝って、泣かせたい。』

「ラグビーは少年をいち早く男にし、男に永遠に少年の魂を抱かせてくれる」   元フランス代表主将 ジャン・ピエール・リヴ

 ライバルのおかげ、勝負の世界はつくづくライバルのおかげだ。漠然とした目標や努力ではなく、特定の相手に対して「親の仇」のような思いで勝負を挑む。それでも跳ね返される。時にはもう無理なんじゃないかと頭をよぎる。それでも立ち上がる。挑む。思いが強くなれば強くなるほど、負ける恐怖も大きくなる。それでも挑む。命を懸けて挑む。その過程で、少年は男になる。

柏陽高校、横須賀高校合同で写真撮影。

佐倉たちが戦い抜いた。堀内たちがもがきながら前進した。柏陽ラグビーに関わるすべての人の、すべての一歩一歩が今日を導いた。2010年4月11日、雨嵐のごとく柏陽フェニックスはタックルに突き刺さった。そしてフェニックスは、男になった。

 

4月1日より、人事異動で柏陽松山は横須賀高校へ、横須賀伊藤監督は柏陽高校へ異動となりました。この大会が終わるとき、松山は柏陽とお別れすることになります。その際には、あらためてご挨拶させていただきます。

伊藤先生、横須賀高校での監督任務、本当にお疲れ様でした。

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