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横浜セブンス09 必然の屈辱

2009/07/01

 横浜セブンスの記事をアップしなかったのは、激しい雨でろくに写真が撮れなかったからではない。出来事を記事にしたくなかったからだ。理由は、書くに値しないからでも恥ずかしい結果だったからでもない。記事として書くことで、あの1時間(柏陽史上最大のシボリ)が悪い意味で軽く美化され、ストーリーの型にはめられるような気がしたから。それでもやはり書くことにしたのは、事実に対し目を背けることなく認識し、決して忘れて欲しくないからだ。

 結果を先に記すと、昨年の優勝者・柏陽高校は、予選プール2戦2敗で最下位。オール3年生で臨んだ横浜隼人戦は覇気のない逆転負け。オール2年生で臨んだ関東学院戦にいたっては、1年生だけで編成された関東学院に破れるという表現不能な無様な結果に終った。最下位リーグに進んだ後は、2戦とも失点の気配なく大量得点で勝利するも、ただただ虚しい空気だけが残った。

 この無残な結果は必然だった。柏陽は「チーム」になっていなかった。それはこの大会に限ってのことではない。関東大会予選が終わり、中間試験だ体育祭だと続く日々の中で、一人ひとりが独立した感覚で過ごし、チーム意識や責任・連帯意識は消えていった。無断欠席や自己都合オフに何の責任も感じない1年生。もちろんそれは2年生の責任だ。2年生が示す背中のオーラが足りないからだ。挙句の果てに、その2年生が試合前日に簡単に遅刻・・・。もちろん2年生が上手くいかないのは、3年生の背中のオーラが足りないから。3年生は確かに受験勉強との両立に必死に励んでいる。しかし一部の選手に「これで十分だろ」の気配は見え隠れし、激しい感情や求心力は失われていた。

 結局、各学年がそれぞれ独立した集団として、各意識レベルに合った活動をしていたのだ。象徴的なのが、試合中のいわゆる応援の声。「応援の声を出せ」は絶対に無意味だ。応援する気、いや、仲間に対する感情、もっと言うなら仲間意識があるのなら、「ナイスタックル!」「ナイストライ!」の声は、自然と大きく発せられているはずだ。ところが試合中のベンチサイドは誰も無言。最後の2戦にいたっては、下級生に対して上級生から「声を出せ」の指令。そして1年生が抑揚のない声で「ナイストライ」・・・。そもそも出せるわけがないのだ。感情移入できていないんだから。感情移入できるような関係を築けていないのだから。

 すべての根源は、3年生の背中にある。「勉強もラグビーも2倍頑張る」と断言してリスタートしたはずが、楽と安易な言い訳に流され「0.5+0.5」になっていないか。個のプレーヤーとして一層の向上心を持ち、具体的な結果を残すための計画的個人練習を行なっているのか。そして何より、感情・魂は昂ぶっているのか。正直、昨年のケイ組にはそこまで求めなかった。しかしだからこそ、ほっしゃん組にはケイ組を越える成長の可能性と得られる財産があるはずだ。懸けた分だけ自分に返ってくる。ほっしゃん組、懸けろ!1年後に同じ苦しみと挑戦の最中にいるであろう現2年生に、真摯で実直で感情的な姿を見せつけろ!3年が鋭い眼差しで空に叫べば、きっとすべて上手くいく。

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